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2012-09-25

色々忙しくなかなかブログを更新できないでいるのですが
気にかけてくれている方もいます

ありがとうございます

先日新宿を歩いていると、凄い数の警官が・・・

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信号も赤信号のまま全く変わらず・・・待っていると

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総理大臣専用車が来ました

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民主党の街頭演説でした


一人目の鹿野さんと二人目の野田さんの話を聞いていたのですが
二人とも東北のことは一言も触れられていなかったです・・・

時間が経ち、過去のものになるのは避けられない中で
また新たな問題が日々起きつつある中で
聞いていた人の中にどれだけ東北のことを考えられる人がいたか
恐らくいなかったんじゃないかと思いました

勿論、物事は見えない部分のほうが大きいですが
世間ではますます今現在やこれからに押し流されていく

色々と実感し、考えさせられる機会でした

2012-08-24

21日にゆりあげ小学校から写真を移動しました

18日から21日まで東京からMM思い出返し隊、法政大の皆さんが来られ
連日移動準備を行ってくれました。
また21日には「思い出探し隊を助け隊」の皆さんが約一年ぶりに手伝いに来てくれました

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体育館の様子

外に置いていたものを皆さまが中に移動させてくれています
8月にあと2回、学生さんが来てくれる予定です

皆さま遠いところ、そして暑い中、本当にありがとうございました!


2012-08-15

最近世間話の中で、霊感が強い人は被災地でも色々感じるらしいよ
みたいな話を聞きました

それを最近まで何の気もなしに、普通にしていたのですが・・・
今日何の配慮もなかったことに気づかされました

逆の立場から考えてみて、自分が遺族だったらどう思うか
亡くなった家族が霊にされてしまい、それを関係のない人達の世間話に
されたらどう感じるか

「たとえ霊であっても逢いたい」そうおっしゃっていたご遺族の方も
いらっしゃいました

でもだからといって、興味本位で話題にされて気分がいいはずは
ないと思います

自分自身がアナザーサイドで想像することが、本当になくなってきている・・・
アナザーサイドがない中での、話し合いなんかで違和感を感じていても
流してしまっているなと最近感じます

いや、正直言うと違和感すら感じなくなってきているのかも・・・
私がじゃあ100ある中で30が想像できるかって聞かれても、決して出来ないと思います




「善い事」は「プラスを起こすこと」
「正しいこと」は「マイナスを起こさないこと、そしてプラスを起こすこと」
(個人的な考え方でスイマセン)

「プラスを起こす」のと「マイナスを起こさない」どちらが大切か
順番で言えば「マイナスを起こさない」の方が先だと思います

そしてどちらが大変かというと「マイナスを起こさない」ことのほうが
考えるべきことはずっと多いと思います

なぜなら「現実」なしには考えられないから

でもやっぱり「善い事」じゃなく「正しいこと」を考えて欲しい
そうすれば見えるものも変わると思うし、思いや感情をコントロール出来ると思うし
多分それは本当に大切なことだと思います


2012-08-07

思い出探し隊発起人の方のブログより
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今見てた体操みたいに・・・

立て直せない、マイナスがマイナス呼んでる感じにはまってきた


少し前に仙台の写真洗浄をしてくださっているボランティアさんから
連絡を頂いたけど、その返信には私の本音を入れてしまいきっと傷つけた
自分が自分の意志でしたことだけど傷つける可能性をわかってした返事に
、なんかもう嫌になった自分のことが。

悪気がなく傷つけた・・・なら、言い訳もできるけど、
傷つけること想像できたのに・・・

苦しい。人と関わるのってしんどい。そう思ったのがきっかけで
体調崩して探し隊離れたのに・・・またそこに気持ちが戻ってしまった


私をすごくすごく気遣ってくれてる人なのに・・・たった一言の単語に
敏感になってそういう言葉使わないでほしいと言ってしまった・・・
こんなに私のことを考えてくれてる人なんだから、我慢すればよかったのに
・・・甘えて・・・言ってくれてありがとうと言ってくれたのに、
絶対嫌な思いさせたと思うと、しんどい・・


もちろんこうやって自分が気づいてることばかりじゃなくても
だれかを傷つけてるかもしれない


そう思い始めてずっとずっとずっと考えてたら・・・
人と関わるのがしんどくなってきた・・・

さらに自分の言葉にも、相手の言葉や行動にも過敏になって
今まで以上に傷ついたり、逆に無視されても傷ついたり・・・

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以前気持ちのすれ違いを起こしたと書きました
某団体の方々が私に思い出探し隊に協力させて欲しいとの申し出が
あったのですが、お断りしました

「もし逆の立場だったら、今洗浄のことを当事者でしかも発起人の方に
聞いても大丈夫だろうか?」
「分からないけど写真が大切という文言を当事者の方に使っても
いいんだろうか?もしかしたら今それどころじゃないんじゃないか」
「苦しんでいる方と、ボランティアの目線の違い、現実がある場で
今の自分たちの考えで大丈夫だろうか?」

そういう配慮があれば、安心感につながるのですが
物への思いに支配されているのかな・・と不安があったのも事実です
今のままでは気持ちのすれ違いが起きる可能性が高いのかなと・・・




これまで起きた気持ちのすれ違いは基本は全て同じだと思います
いくつかの違いはありますが、目線の違いをコントロールできるかできないか
感情や思いをコントロールできるか、コントロールされるか

最近マスコミの方と話す機会があったのですが、どこも活動を継続したり
人が集まるためには、正しいと思う気持ち、必要とされたい意欲、楽しさ、
満足などある程度の物がないと継続は難しいと言っていました
私もそれは正しいと思います

言い方を変えると活動を続ける中でそれが当たり前で必要と感じ、それが
正しいと思う人は出てくるのが自然かもしれない

「何もしないよりは写真一枚でも救ったほうがいいんじゃないか」
「楽しみも必要じゃないか」
「少しでも綺麗にすることが正しいと思う」

意見は人によって様々ですし、それはいいと思いますし、ある意味自然な論理です
ただ、そもそも論的に考えると、それは当事者や現実、苦しみといった部分
からはかなり離れている部分でもあると思います

逆にボランティアの継続の論理が通ってしまう世界は、継続している場では
ある意味自然な場かもしれない。そこを覆すのは時間が経てば経つほど
難しくなってくるなと最近実感しています

ただそこを自分の中でコントロールして、相手や場所状況に応じて配慮出来なければ
また気持ちのすれ違いが起きてしまうのかなと・・・





お知らせ
ゆりあげでの展示はお盆を持って一旦終了となります
湿気の影響が出てきたためで、写真以外のものはそのまま展示します

今後の再展示は時期が決まり次第、市役所より告知する予定です

2012-07-28

相手との距離感の話

マイケルサンデル教授の本を読んでいて、彼はこれまで中立的と思われている
距離が決して中立的ではないということを書いていました

私は最近東京にいることが増えてきているのですが、東京で滞在する中で感じること
それは距離の違いであり、ほぼ全員が他人同士、そして圧倒的な大人数の中で
踏み込んで他人を思うことに必然的に躊躇は生まれるなと・・・

そこに生まれる相手との距離感が当たり前の中、「物からいずれ人へ」と訴え続けても
人によってはなかなか受け入れづらい人もいるのかもしれません

また人によってはボランティアという「行動」、写真という物への「行動」が積み重なり
自分のアイデンティティーになって来ているのかなって思う人もいらっしゃいます

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アイデンティティーとは

「人格における存在証明または同一性。ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち
それが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明」
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表立っては異論を唱えなくとも、一年半経つ今、徐々にそういった部分が表面に
出てくる時期かもしれないなと色々な人と接して感じることがあります




小学生の感想文を送ってもらう機会がありました
そこに書いてくれていたことを紹介します

「被災地の人たちは、津波や地震で家や友達、家族やいろんなものを失って、もし自分が
そうなったらどうするのかと思うと、その時自分はどうするのか想像ができなくなります。
でも被災地にはそういう人がたくさんいると考えたら悲しくなってきます。だからパネルを
見て、今自分は幸せだと思います」

人の気持ちを想像する力とは自分に当てはめて考える力
そこから生まれる純粋な部分
それを元に、配慮や自分がいつまでも出来ることを改めて考える
その結果が写真洗浄であって欲しいと思います


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