絆を未来へ!! がんばろう名取
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震災から一年、復興へ向けて活動する宮城県名取市在住の作者の日々を綴ったブログです
新井 洋平
2012-09-25T21:39:17+09:00
ja
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2012-09-25
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色々忙しくなかなかブログを更新できないでいるのですが気にかけてくれている方もいますありがとうございます先日新宿を歩いていると、凄い数の警官が・・・信号も赤信号のまま全く変わらず・・・待っていると総理大臣専用車が来ました民主党の街頭演説でした一人目の鹿野さんと二人目の野田さんの話を聞いていたのですが二人とも東北のことは一言も触れられていなかったです・・・時間が経ち、過去のものになるのは避けられない中でまた新たな問題が日々起きつつある中で聞いていた人の中にどれだけ東北のことを考えられる人がいたか恐らくいなかったんじゃないかと思いました勿論、物事は見えない部分のほうが大きいですが世間ではますます今現在やこれからに押し流されていく色々と実感し、考えさせられる機会でした
未分類
新井 洋平
2012-09-25T21:39:17+09:00
気にかけてくれている方もいます
ありがとうございます
先日新宿を歩いていると、凄い数の警官が・・・
信号も赤信号のまま全く変わらず・・・待っていると
総理大臣専用車が来ました
民主党の街頭演説でした
一人目の鹿野さんと二人目の野田さんの話を聞いていたのですが
二人とも東北のことは一言も触れられていなかったです・・・
時間が経ち、過去のものになるのは避けられない中で
また新たな問題が日々起きつつある中で
聞いていた人の中にどれだけ東北のことを考えられる人がいたか
恐らくいなかったんじゃないかと思いました
勿論、物事は見えない部分のほうが大きいですが
世間ではますます今現在やこれからに押し流されていく
色々と実感し、考えさせられる機会でした
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2012-08-24
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21日にゆりあげ小学校から写真を移動しました18日から21日まで東京からMM思い出返し隊、法政大の皆さんが来られ連日移動準備を行ってくれました。また21日には「思い出探し隊を助け隊」の皆さんが約一年ぶりに手伝いに来てくれました体育館の様子外に置いていたものを皆さまが中に移動させてくれています8月にあと2回、学生さんが来てくれる予定です皆さま遠いところ、そして暑い中、本当にありがとうございました!
未分類
新井 洋平
2012-08-24T00:37:02+09:00
18日から21日まで東京からMM思い出返し隊、法政大の皆さんが来られ
連日移動準備を行ってくれました。
また21日には「思い出探し隊を助け隊」の皆さんが約一年ぶりに手伝いに来てくれました
体育館の様子
外に置いていたものを皆さまが中に移動させてくれています
8月にあと2回、学生さんが来てくれる予定です
皆さま遠いところ、そして暑い中、本当にありがとうございました!
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2012-08-15
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最近世間話の中で、霊感が強い人は被災地でも色々感じるらしいよみたいな話を聞きましたそれを最近まで何の気もなしに、普通にしていたのですが・・・今日何の配慮もなかったことに気づかされました逆の立場から考えてみて、自分が遺族だったらどう思うか亡くなった家族が霊にされてしまい、それを関係のない人達の世間話にされたらどう感じるか「たとえ霊であっても逢いたい」そうおっしゃっていたご遺族の方もいらっしゃいましたでもだからといって、興味本位で話題にされて気分がいいはずはないと思います自分自身がアナザーサイドで想像することが、本当になくなってきている・・・アナザーサイドがない中での、話し合いなんかで違和感を感じていても流してしまっているなと最近感じますいや、正直言うと違和感すら感じなくなってきているのかも・・・私がじゃあ100ある中で30が想像できるかって聞かれても、決して出来ないと思います「善い事」は「プラスを起こすこと」「正しいこと」は「マイナスを起こさないこと、そしてプラスを起こすこと」(個人的な考え方でスイマセン)「プラスを起こす」のと「マイナスを起こさない」どちらが大切か順番で言えば「マイナスを起こさない」の方が先だと思いますそしてどちらが大変かというと「マイナスを起こさない」ことのほうが考えるべきことはずっと多いと思いますなぜなら「現実」なしには考えられないからでもやっぱり「善い事」じゃなく「正しいこと」を考えて欲しいそうすれば見えるものも変わると思うし、思いや感情をコントロール出来ると思うし多分それは本当に大切なことだと思います
未分類
新井 洋平
2012-08-15T23:16:55+09:00
みたいな話を聞きました
それを最近まで何の気もなしに、普通にしていたのですが・・・
今日何の配慮もなかったことに気づかされました
逆の立場から考えてみて、自分が遺族だったらどう思うか
亡くなった家族が霊にされてしまい、それを関係のない人達の世間話に
されたらどう感じるか
「たとえ霊であっても逢いたい」そうおっしゃっていたご遺族の方も
いらっしゃいました
でもだからといって、興味本位で話題にされて気分がいいはずは
ないと思います
自分自身がアナザーサイドで想像することが、本当になくなってきている・・・
アナザーサイドがない中での、話し合いなんかで違和感を感じていても
流してしまっているなと最近感じます
いや、正直言うと違和感すら感じなくなってきているのかも・・・
私がじゃあ100ある中で30が想像できるかって聞かれても、決して出来ないと思います
「善い事」は「プラスを起こすこと」
「正しいこと」は「マイナスを起こさないこと、そしてプラスを起こすこと」
(個人的な考え方でスイマセン)
「プラスを起こす」のと「マイナスを起こさない」どちらが大切か
順番で言えば「マイナスを起こさない」の方が先だと思います
そしてどちらが大変かというと「マイナスを起こさない」ことのほうが
考えるべきことはずっと多いと思います
なぜなら「現実」なしには考えられないから
でもやっぱり「善い事」じゃなく「正しいこと」を考えて欲しい
そうすれば見えるものも変わると思うし、思いや感情をコントロール出来ると思うし
多分それは本当に大切なことだと思います
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2012-08-07
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-08-07
思い出探し隊発起人の方のブログより-------------------------------------今見てた体操みたいに・・・立て直せない、マイナスがマイナス呼んでる感じにはまってきた少し前に仙台の写真洗浄をしてくださっているボランティアさんから連絡を頂いたけど、その返信には私の本音を入れてしまいきっと傷つけた自分が自分の意志でしたことだけど傷つける可能性をわかってした返事に、なんかもう嫌になった自分のことが。悪気がなく傷つけた・・・なら、言い訳もできるけど、傷つけること想像できたのに・・・苦しい。人と関わるのってしんどい。そう思ったのがきっかけで体調崩して探し隊離れたのに・・・またそこに気持ちが戻ってしまった私をすごくすごく気遣ってくれてる人なのに・・・たった一言の単語に敏感になってそういう言葉使わないでほしいと言ってしまった・・・こんなに私のことを考えてくれてる人なんだから、我慢すればよかったのに・・・甘えて・・・言ってくれてありがとうと言ってくれたのに、絶対嫌な思いさせたと思うと、しんどい・・もちろんこうやって自分が気づいてることばかりじゃなくてもだれかを傷つけてるかもしれないそう思い始めてずっとずっとずっと考えてたら・・・人と関わるのがしんどくなってきた・・・さらに自分の言葉にも、相手の言葉や行動にも過敏になって今まで以上に傷ついたり、逆に無視されても傷ついたり・・・-------------------------------------以前気持ちのすれ違いを起こしたと書きました某団体の方々が私に思い出探し隊に協力させて欲しいとの申し出があったのですが、お断りしました「もし逆の立場だったら、今洗浄のことを当事者でしかも発起人の方に聞いても大丈夫だろうか?」「分からないけど写真が大切という文言を当事者の方に使ってもいいんだろうか?もしかしたら今それどころじゃないんじゃないか」「苦しんでいる方と、ボランティアの目線の違い、現実がある場で今の自分たちの考えで大丈夫だろうか?」そういう配慮があれば、安心感につながるのですが物への思いに支配されているのかな・・と不安があったのも事実です今のままでは気持ちのすれ違いが起きる可能性が高いのかなと・・・これまで起きた気持ちのすれ違いは基本は全て同じだと思いますいくつかの違いはありますが、目線の違いをコントロールできるかできないか感情や思いをコントロールできるか、..
未分類
新井 洋平
2012-08-07T01:28:39+09:00
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今見てた体操みたいに・・・
立て直せない、マイナスがマイナス呼んでる感じにはまってきた
少し前に仙台の写真洗浄をしてくださっているボランティアさんから
連絡を頂いたけど、その返信には私の本音を入れてしまいきっと傷つけた
自分が自分の意志でしたことだけど傷つける可能性をわかってした返事に
、なんかもう嫌になった自分のことが。
悪気がなく傷つけた・・・なら、言い訳もできるけど、
傷つけること想像できたのに・・・
苦しい。人と関わるのってしんどい。そう思ったのがきっかけで
体調崩して探し隊離れたのに・・・またそこに気持ちが戻ってしまった
私をすごくすごく気遣ってくれてる人なのに・・・たった一言の単語に
敏感になってそういう言葉使わないでほしいと言ってしまった・・・
こんなに私のことを考えてくれてる人なんだから、我慢すればよかったのに
・・・甘えて・・・言ってくれてありがとうと言ってくれたのに、
絶対嫌な思いさせたと思うと、しんどい・・
もちろんこうやって自分が気づいてることばかりじゃなくても
だれかを傷つけてるかもしれない
そう思い始めてずっとずっとずっと考えてたら・・・
人と関わるのがしんどくなってきた・・・
さらに自分の言葉にも、相手の言葉や行動にも過敏になって
今まで以上に傷ついたり、逆に無視されても傷ついたり・・・
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以前気持ちのすれ違いを起こしたと書きました
某団体の方々が私に思い出探し隊に協力させて欲しいとの申し出が
あったのですが、お断りしました
「もし逆の立場だったら、今洗浄のことを当事者でしかも発起人の方に
聞いても大丈夫だろうか?」
「分からないけど写真が大切という文言を当事者の方に使っても
いいんだろうか?もしかしたら今それどころじゃないんじゃないか」
「苦しんでいる方と、ボランティアの目線の違い、現実がある場で
今の自分たちの考えで大丈夫だろうか?」
そういう配慮があれば、安心感につながるのですが
物への思いに支配されているのかな・・と不安があったのも事実です
今のままでは気持ちのすれ違いが起きる可能性が高いのかなと・・・
これまで起きた気持ちのすれ違いは基本は全て同じだと思います
いくつかの違いはありますが、目線の違いをコントロールできるかできないか
感情や思いをコントロールできるか、コントロールされるか
最近マスコミの方と話す機会があったのですが、どこも活動を継続したり
人が集まるためには、正しいと思う気持ち、必要とされたい意欲、楽しさ、
満足などある程度の物がないと継続は難しいと言っていました
私もそれは正しいと思います
言い方を変えると活動を続ける中でそれが当たり前で必要と感じ、それが
正しいと思う人は出てくるのが自然かもしれない
「何もしないよりは写真一枚でも救ったほうがいいんじゃないか」
「楽しみも必要じゃないか」
「少しでも綺麗にすることが正しいと思う」
意見は人によって様々ですし、それはいいと思いますし、ある意味自然な論理です
ただ、そもそも論的に考えると、それは当事者や現実、苦しみといった部分
からはかなり離れている部分でもあると思います
逆にボランティアの継続の論理が通ってしまう世界は、継続している場では
ある意味自然な場かもしれない。そこを覆すのは時間が経てば経つほど
難しくなってくるなと最近実感しています
ただそこを自分の中でコントロールして、相手や場所状況に応じて配慮出来なければ
また気持ちのすれ違いが起きてしまうのかなと・・・
お知らせ
ゆりあげでの展示はお盆を持って一旦終了となります
湿気の影響が出てきたためで、写真以外のものはそのまま展示します
今後の再展示は時期が決まり次第、市役所より告知する予定です
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2012-07-28
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相手との距離感の話マイケルサンデル教授の本を読んでいて、彼はこれまで中立的と思われている距離が決して中立的ではないということを書いていました私は最近東京にいることが増えてきているのですが、東京で滞在する中で感じることそれは距離の違いであり、ほぼ全員が他人同士、そして圧倒的な大人数の中で踏み込んで他人を思うことに必然的に躊躇は生まれるなと・・・そこに生まれる相手との距離感が当たり前の中、「物からいずれ人へ」と訴え続けても人によってはなかなか受け入れづらい人もいるのかもしれませんまた人によってはボランティアという「行動」、写真という物への「行動」が積み重なり自分のアイデンティティーになって来ているのかなって思う人もいらっしゃいます--------------------------アイデンティティーとは「人格における存在証明または同一性。ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ちそれが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明」---------------------------表立っては異論を唱えなくとも、一年半経つ今、徐々にそういった部分が表面に出てくる時期かもしれないなと色々な人と接して感じることがあります小学生の感想文を送ってもらう機会がありましたそこに書いてくれていたことを紹介します「被災地の人たちは、津波や地震で家や友達、家族やいろんなものを失って、もし自分がそうなったらどうするのかと思うと、その時自分はどうするのか想像ができなくなります。でも被災地にはそういう人がたくさんいると考えたら悲しくなってきます。だからパネルを見て、今自分は幸せだと思います」人の気持ちを想像する力とは自分に当てはめて考える力そこから生まれる純粋な部分それを元に、配慮や自分がいつまでも出来ることを改めて考えるその結果が写真洗浄であって欲しいと思います
未分類
新井 洋平
2012-07-28T10:44:04+09:00
マイケルサンデル教授の本を読んでいて、彼はこれまで中立的と思われている
距離が決して中立的ではないということを書いていました
私は最近東京にいることが増えてきているのですが、東京で滞在する中で感じること
それは距離の違いであり、ほぼ全員が他人同士、そして圧倒的な大人数の中で
踏み込んで他人を思うことに必然的に躊躇は生まれるなと・・・
そこに生まれる相手との距離感が当たり前の中、「物からいずれ人へ」と訴え続けても
人によってはなかなか受け入れづらい人もいるのかもしれません
また人によってはボランティアという「行動」、写真という物への「行動」が積み重なり
自分のアイデンティティーになって来ているのかなって思う人もいらっしゃいます
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アイデンティティーとは
「人格における存在証明または同一性。ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち
それが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明」
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表立っては異論を唱えなくとも、一年半経つ今、徐々にそういった部分が表面に
出てくる時期かもしれないなと色々な人と接して感じることがあります
小学生の感想文を送ってもらう機会がありました
そこに書いてくれていたことを紹介します
「被災地の人たちは、津波や地震で家や友達、家族やいろんなものを失って、もし自分が
そうなったらどうするのかと思うと、その時自分はどうするのか想像ができなくなります。
でも被災地にはそういう人がたくさんいると考えたら悲しくなってきます。だからパネルを
見て、今自分は幸せだと思います」
人の気持ちを想像する力とは自分に当てはめて考える力
そこから生まれる純粋な部分
それを元に、配慮や自分がいつまでも出来ることを改めて考える
その結果が写真洗浄であって欲しいと思います
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2012-07-22
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-07-22
7/17は思い出探し隊の発起人竹澤さんの息子さんの雅人君の2歳の誕生日でした-------------------------------------------------------先日マイケルサンデル教授とお会いした時のことがNHKの番組で放送されました「今も苦しんでいる方の前で復興なんて言葉は使えない」おこがましくも自分でそう伝えておきながら、このブログのタイトルはどうだろう?「絆」「未来」同じことだと思います当事者の方に接しさせて頂いてきた今の今までなんらそこを見ることはなかった・・・今回気づかせてもらったのも当事者の方がご自身のブログに書いてくれていたからでした私達には当たり前、見えないことも場合によっては人を不快にさせてることは本当に沢山あると思いますだからこそ自分の外の「分からない」「見えない」ものに対する意識を常に持ち、当事者の声や感情に常にアンテナを張らないとすれ違いが起きるし、また起こしても自分ではなかなか分からない「配慮」「相手の気持ちを想像する力」言うだけになっていたと気づかされました。改めて反省しないとと思います
未分類
新井 洋平
2012-07-22T03:16:47+09:00
雅人君の2歳の誕生日でした
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先日マイケルサンデル教授とお会いした時のことがNHKの
番組で放送されました
「今も苦しんでいる方の前で復興なんて言葉は使えない」
おこがましくも自分でそう伝えておきながら、このブログのタイトルは
どうだろう?「絆」「未来」同じことだと思います
当事者の方に接しさせて頂いてきた今の今まで
なんらそこを見ることはなかった・・・
今回気づかせてもらったのも当事者の方がご自身のブログに
書いてくれていたからでした
私達には当たり前、見えないことも場合によっては人を不快に
させてることは本当に沢山あると思います
だからこそ自分の外の「分からない」「見えない」ものに対する
意識を常に持ち、当事者の声や感情に常にアンテナを張らないと
すれ違いが起きるし、また起こしても自分ではなかなか分からない
「配慮」「相手の気持ちを想像する力」言うだけになっていたと
気づかされました。改めて反省しないとと思います
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2012-07-15
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-07-15
http://ameblo.jp/cori2274/entry-11291023700.html当事者の方の声の一つです、でも殆どの方は思っても表に出さないのも事実だと思います人の気持ちを想像する力このブログの初期に私が書いたことですが、発起人竹澤さんと接して感じたこと、それは「分かれない」ということでした自分の中には全くない世界といったらいいのか・・・だからこそ極めて慎重に、自分では見えないもの分かれないことを常に意識しないと、すれ違いを起こしてしまう「写真洗浄」「現物」「現場」はトライアンドエラーの積み重ねでここまで来ました。ただその先にある「現実」「気持ち」はそれは通用しない世界だと思います正直に言うと「写真洗浄」「返却」だけのストーリーを作っていくのはそこまで難しいと思ったことはないです勿論途方もない数の方々の協力のおかげですがただ善意と当事者を結ぶのはそう簡単ではないと思いますでもそれをしないとまた今回と同じことを起こしてしまう勿論善意も当たり前のものではないし、その行動は貴重で素晴らしいですでもだからといって全てが許されるわけじゃないと思います今後も場所によっては写真洗浄が続く限り、喜びと同時に悲しみが続いてしまう場があるかもしれないゆりあげでは残念ながら何度か起きたかもしれません改めて写真の背景には人がいるということ現物、現場の事実のみで考えることの影響継続のためにそこに正当性、必要性を訴えることの影響(勿論否定は決してしないですが)生み出すものもあれば傷つけてしまったこともあるそれはなぜか様々なことを考えて欲しいそこには様々なジレンマや葛藤も生まれてくると思いますでもそれを選択できるかできないかマイケルサンデル教授の言葉を引用させてもらうと「負荷ある自己」「負荷なき自己」のどちらを選べるかそうすれば「善意と当事者の間に何があればそこに気持ちのすれ違いが起きないか」という問いに対する答えに徐々に近づいていけると私は思います
未分類
新井 洋平
2012-07-15T21:25:37+09:00
http://ameblo.jp/cori2274/entry-11291023700.html
当事者の方の声の一つです、でも殆どの方は思っても表に出さない
のも事実だと思います
人の気持ちを想像する力
このブログの初期に私が書いたことですが、発起人竹澤さんと
接して感じたこと、それは「分かれない」ということでした
自分の中には全くない世界といったらいいのか・・・
だからこそ極めて慎重に、自分では見えないもの分かれないことを
常に意識しないと、すれ違いを起こしてしまう
「写真洗浄」「現物」「現場」はトライアンドエラーの積み重ねでここまで
来ました。ただその先にある「現実」「気持ち」はそれは通用しない世界だと
思います
正直に言うと「写真洗浄」「返却」だけのストーリーを作っていくのは
そこまで難しいと思ったことはないです
勿論途方もない数の方々の協力のおかげですが
ただ善意と当事者を結ぶのはそう簡単ではないと思います
でもそれをしないとまた今回と同じことを起こしてしまう
勿論善意も当たり前のものではないし、その行動は貴重で素晴らしいです
でもだからといって全てが許されるわけじゃないと思います
今後も場所によっては写真洗浄が続く限り、
喜びと同時に悲しみが続いてしまう場があるかもしれない
ゆりあげでは残念ながら何度か起きたかもしれません
改めて写真の背景には人がいるということ
現物、現場の事実のみで考えることの影響
継続のためにそこに正当性、必要性を訴えることの影響
(勿論否定は決してしないですが)
生み出すものもあれば傷つけてしまったこともあるそれはなぜか
様々なことを考えて欲しい
そこには様々なジレンマや葛藤も生まれてくると思います
でもそれを選択できるかできないか
マイケルサンデル教授の言葉を引用させてもらうと
「負荷ある自己」「負荷なき自己」のどちらを選べるか
そうすれば「善意と当事者の間に何があればそこに気持ちのすれ違いが起きないか」
という問いに対する答えに徐々に近づいていけると私は思います
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2012-07-09
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-07-09
写真洗浄ボランティアも様々な考え方またボランティアさん個人個人でも色んな段階があると思いますこの一年振り返ってみて私とボランティアさんの間にも結構すれ違い多かったなと正直思いました 「ボランティア」-「当事者」 「現物(写真)」-「現場(会場)」-「現実」 どうしても写真は目的からして返却でありそのために「ボランティア」「現物(写真)」という目線が圧倒的に強くなります私は「当事者」「現実」によって欲しいとずっと伝え続けてきました勿論上に書いたように分かれないし背負えない、でもその上で配慮でき、いつまでも寄り添う。洗浄が終わってもいつかその中から新しいつながりが生まれ、物語が生まれて欲しいでも初めてボランティアに参加する方や、当事者の現実に少しでも触れたことがなければそれは難しいし強制はできないです分からないまでも配慮し相手の気持ちを少しでも想像しようにもそうなるのも人によっては大変だと思いますただ今温度差や距離では表せないくらいの「違い」がある中でこのままではという思いは思い出探し隊を引き継いだときからありました 「ボランティア」 「現物(写真)」-「現場(会場)」今洗浄活動も様々な積み重ね、つながりを経てそれが一つの世界になりつつあると思います最近富士フィルムさん主催の救済サミットがありましたがその中でこういうセリフがありました「今はまだ取りに来ることが出来ない人がいる取りに来るのは十年二十年先になるかもしれない」私が正直言葉が軽いと思いました勿論私もその苦しみは分かれないでもそれってそんな簡単に使える言葉?その本当の現実を少しでも知ったら写真継続の理由にする前にもっとすることがあるんじゃないかな?ただ恐らくそう感じたのは多分私だけだったと思います決して洗浄活動を正義にしないで欲しい善い事ですし、大切なことです。ただそれだけは決してしないで欲しい 「ボランティア」-「当事者」 「現物(写真)」-「現場(会場)」-「現実」継続する中ではどうしても「ボランティア」「現物」が強くなります現物、現場の中での事実の積み重ねも増えてくると思いますどれだけの方がその中で「当事者」「現実」に寄り添い続けれるかゆりあげは写真の再洗浄が必要なものがあり、今後また多くの方々に作業をお願いしようと思っています。環境が悪いこともあり、保全にも力を注いでいきますただその中でど..
未分類
新井 洋平
2012-07-09T01:27:46+09:00
またボランティアさん個人個人でも色んな段階があると思います
この一年振り返ってみて私とボランティアさんの間にも結構すれ違い
多かったなと正直思いました
「ボランティア」-「当事者」
「現物(写真)」-「現場(会場)」-「現実」
どうしても写真は目的からして返却でありそのために
「ボランティア」「現物(写真)」という目線が圧倒的に強くなります
私は「当事者」「現実」によって欲しいとずっと伝え続けてきました
勿論上に書いたように分かれないし背負えない、でもその上で
配慮でき、いつまでも寄り添う。洗浄が終わってもいつかその中から
新しいつながりが生まれ、物語が生まれて欲しい
でも初めてボランティアに参加する方や、当事者の現実に少しでも
触れたことがなければそれは難しいし強制はできないです
分からないまでも配慮し相手の気持ちを少しでも想像しようにも
そうなるのも人によっては大変だと思います
ただ今温度差や距離では表せないくらいの「違い」がある中で
このままではという思いは思い出探し隊を引き継いだときからありました
「ボランティア」
「現物(写真)」-「現場(会場)」
今洗浄活動も様々な積み重ね、つながりを経てそれが一つの世界に
なりつつあると思います
最近富士フィルムさん主催の救済サミットがありましたがその中でこういう
セリフがありました
「今はまだ取りに来ることが出来ない人がいる
取りに来るのは十年二十年先になるかもしれない」
私が正直言葉が軽いと思いました
勿論私もその苦しみは分かれない
でもそれってそんな簡単に使える言葉?
その本当の現実を少しでも知ったら写真継続の理由にする前に
もっとすることがあるんじゃないかな?
ただ恐らくそう感じたのは多分私だけだったと思います
決して洗浄活動を正義にしないで欲しい
善い事ですし、大切なことです。ただそれだけは決してしないで欲しい
「ボランティア」-「当事者」
「現物(写真)」-「現場(会場)」-「現実」
継続する中ではどうしても「ボランティア」「現物」が強くなります
現物、現場の中での事実の積み重ねも増えてくると思います
どれだけの方がその中で「当事者」「現実」に寄り添い続けれるか
ゆりあげは写真の再洗浄が必要なものがあり、今後また多くの方々に作業を
お願いしようと思っています。環境が悪いこともあり、保全にも力を注いでいきます
ただその中でどれだけの方が上の図で左じゃなく右に寄ってもらえるか
今また大きな左側への力が生まれてきつつあります
間違いでは決してないし、その中から生まれるものも沢山あると思う
ただ私はあくまで右側へ寄り添い続けたい
思い出探し隊はボランティアではなく人を思いやれる隣人であり続けたい
最後に以前静岡よりお見えになった方から頂いたメッセージを紹介します
伝えられる方だと思います。こういう方が今後も一人でも多く出てきて欲しい
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私は昨年の7月より写真洗浄に参加しておりますが、被災地への訪問は
今回が初めてであり、見るもの聞くものが今までの自分の認識と違っていて
驚きました。遠隔地で活動している為か、世間では震災があったと言う事が
風化しつつあると言う現実と同じ様に洗浄をする目的や自分の気持が
本来の目的とずれてきているような気がしていました。
今回新井さんのお話や竹澤さんのお話を直接聞くことが出来、
また実際に被災地をこの目で見て空気を肌で感じて、
今後自分がどの様に写真洗浄と向き合っていかなければならないのかを
理解することが出来たと思います。
ボランティアする内容がどうこうではなく、被災された方々の立場に立って
気持を思いやる心が大切。その気持をしっかりと持っていれば、
自分が何の為に写真を洗浄しているのかが”本当の意味”で
理解できると思います
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2012-07-05
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-07-05
雅人ママの小さくて大きい日常最も書きたくないことですが・・・某洗浄団体の方々の話ですが自分の思いのみで思い出探し隊に関与しようとし気持ちのすれ違いを起こしかけました勿論良かれと思ってのことでしょうが・・・一年以上震災ボランティアに関わってきて何を得たんだろう・・・今見えないところで沢山の方々が動いてくれていることも気持ちのすれ違いひとつで途切れることもあるのに・・・過去本当に沢山の物語がありました思い出探し隊や観光復興PJ、その他にも気持ちのすれ違いを起こして起こることそれは人が離れることだけ「善い事」が「正しくないこと」を引き起こすこともある勿論分かれない部分沢山ありますが、気持ちのすれ違いを起こすのはなぜか今一度考え直して欲しい。同じこと初めてや2回目じゃないんだからそしてこういったことの積み重ねがマイナス感情をお互い増幅していくんだから私が最初に自覚したこと、それは分からないこと当事者に限らず他人に関する部分、そこから少しずつ繋がりが生まれ信頼してもらえる中で、ともに作れる物語に少しずつ関与させてもらえるのかなhttp://ameblo.jp/lunacreation/entry-11291596770.html
未分類
新井 洋平
2012-07-05T00:37:37+09:00
雅人ママの小さくて大きい日常
最も書きたくないことですが・・・
某洗浄団体の方々の話ですが自分の思いのみで思い出探し隊に関与しようとし
気持ちのすれ違いを起こしかけました
勿論良かれと思ってのことでしょうが・・・
一年以上震災ボランティアに関わってきて何を得たんだろう・・・
今見えないところで沢山の方々が動いてくれていることも
気持ちのすれ違いひとつで途切れることもあるのに・・・
過去本当に沢山の物語がありました
思い出探し隊や観光復興PJ、その他にも
気持ちのすれ違いを起こして起こること
それは人が離れることだけ
「善い事」が「正しくないこと」を引き起こすこともある
勿論分かれない部分沢山ありますが、気持ちのすれ違いを起こすのはなぜか
今一度考え直して欲しい。同じこと初めてや2回目じゃないんだから
そしてこういったことの積み重ねがマイナス感情をお互い増幅していくんだから
私が最初に自覚したこと、それは分からないこと
当事者に限らず他人に関する部分、そこから少しずつ繋がりが生まれ
信頼してもらえる中で、ともに作れる物語に少しずつ関与させてもらえるのかな
http://ameblo.jp/lunacreation/entry-11291596770.html
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2012-07-01
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-07-01
武蔵小杉の小林さんが書いてくれていました----------------------------------------------その地に立ったときに、カメラで撮る前に、手を合わせる、そんな難しいことでないよね。それをしたことによって、現地の人の心が穏やかになったり、気持ちが近くなったりしたら、嬉しいし、傷ついている人がもっと傷つくことなんて誰もしたくないよね。苦しんでいる方々の、悲しみをなくすような、奇跡を起こすことはできないけど、これ以上辛い思いにさせないことの配慮は君達中学生だってきっとできることだよね。... 小さなことだけど、勇気ある一歩、それが出来る人になろう。268名の生徒に一番言いたかったことです。----------------------------------------------3現主義という言葉があります「現場」「現物」「現実」写真は現物、返却は現場、じゃあ現実は?ありのままの姿や言葉や感情があり写真という現物をきっかけに現実に少しでも近づこうとし経験や場所や世代を超え、共通して伝えられることそれを自分の言葉で実践する中で、分かることがあると思いますそれが出来れば洗浄活動が「善いこと」から少しでも「正しいこと」.に近づくのかなと思います あくまで私の思いですが・・
未分類
新井 洋平
2012-07-01T11:13:41+09:00
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その地に立ったときに、カメラで撮る前に、手を合わせる、
そんな難しいことでないよね。
それをしたことによって、現地の人の心が穏やかになったり、
気持ちが近くなったりしたら、嬉しいし、傷ついている人が
もっと傷つくことなんて誰もしたくないよね。
苦しんでいる方々の、悲しみをなくすような、奇跡を起こすことは
できないけど、これ以上辛い思いにさせないことの配慮は
君達中学生だってきっとできることだよね。
... 小さなことだけど、勇気ある一歩、それが出来る人になろう。
268名の生徒に一番言いたかったことです。
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3現主義という言葉があります
「現場」「現物」「現実」
写真は現物、返却は現場、じゃあ現実は?
ありのままの姿や言葉や感情があり
写真という現物をきっかけに現実に少しでも近づこうとし
経験や場所や世代を超え、共通して伝えられること
それを自分の言葉で実践する中で、分かることがあると思います
それが出来れば洗浄活動が「善いこと」から
少しでも「正しいこと」.に近づくのかなと思います
あくまで私の思いですが・・
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2012-06-26
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-06-25
http://ameblo.jp/lunacreation/entry-11283911361.html思い出探し隊発起人竹澤さんそして私の言葉を載せて頂いています私は各地で起点になって頂いている方に関わっている方々の中からそして次の世代の中から、新しい物語が生まれて欲しいと伝えましたブログにありますが、震災を伝えきる事は出来ないというのはその通りだと思います。分からない事はやっぱり分からないし、分かれない逆に当事者しか分からない部分を語るのはおこがましい部分もありますかつて活動して頂いた思い出探し隊のGさんを思い出します安心感を持たれる方だったと思います言葉の怖さを知り、今の自分を知り伝えるべきことと言ってはダメなことの線引きがきっちり出来ていた方でしたただ竹澤さんの言葉を引用させてもらいますが、それも「人の気持ちを考える想像力」だと思います「災害に合ったことがなかったり、生活や大切な家族や友人をなくした経験がなければ、わからない思いはたくさんあります。でも、自分だったらと想像し思いやりを持って行動して頂けると、私達は心まで支えて頂けたと思えるのです」相手の気持ちを想像出来る力それは今の自分が伝えれることが分かることでもあると思います繰り返しになりますが、各地で起点になって頂いている皆さんに関わっている方々の中から、そしてこれから関わる次の世代の中から新しい物語が生まれて欲しいと思います当事者の声や感情にアンテナを張り続け、そしていつまでも寄りそい思いやる気持ちを忘れないで頂きたいですその上で伝えること、接することに一歩踏み出す勇気を持って欲しいと思います
未分類
新井 洋平
2012-06-26T00:26:05+09:00
http://ameblo.jp/lunacreation/entry-11283911361.html
思い出探し隊発起人竹澤さんそして私の言葉を載せて頂いています
私は各地で起点になって頂いている方に関わっている方々の中から
そして次の世代の中から、新しい物語が生まれて欲しいと伝えました
ブログにありますが、震災を伝えきる事は出来ないというのはその通りだと
思います。分からない事はやっぱり分からないし、分かれない
逆に当事者しか分からない部分を語るのはおこがましい部分もあります
かつて活動して頂いた思い出探し隊のGさんを思い出します
安心感を持たれる方だったと思います
言葉の怖さを知り、今の自分を知り
伝えるべきことと言ってはダメなことの線引きが
きっちり出来ていた方でした
ただ竹澤さんの言葉を引用させてもらいますが、それも
「人の気持ちを考える想像力」だと思います
「災害に合ったことがなかったり、生活や大切な家族や友人を
なくした経験がなければ、わからない思いはたくさんあります。
でも、自分だったらと想像し思いやりを持って行動して頂けると、
私達は心まで支えて頂けたと思えるのです」
相手の気持ちを想像出来る力
それは今の自分が伝えれることが分かることでもあると思います
繰り返しになりますが、各地で起点になって頂いている皆さんに
関わっている方々の中から、そしてこれから関わる次の世代の中から
新しい物語が生まれて欲しいと思います
当事者の声や感情にアンテナを張り続け、そしていつまでも
寄りそい思いやる気持ちを忘れないで頂きたいです
その上で伝えること、接することに一歩踏み出す勇気を
持って欲しいと思います
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2012-06-17
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-06-17
「情勢論と存在論」情勢論は既存の枠組みの中で考えること。存在論は、そもそも論「そもそもその枠組みってどうなの?」から考える。情勢論と存在論を対比し、私たちは情勢論で物事を見るのに慣れている、という。しかし、存在論的に考えるためには、常識の背後にある「見えないもの」をつかみとらなくてはならないこれを読んで情勢論はボランティアにも当てはまる部分があるかもと思いました今写真洗浄が目の前で出来ることであり、劣化を防ぐためにもまずしようと離れた場所で活動されている方からメッセージをもらうことがありますが「現地に行って何かしたいけどとりあえず目の前で出来ることを」という考えの方が多かったと思いますおかげで多数の写真が救われています。ただ・・・---------------------------------------------------------------------今日は武蔵小杉で活動されている小林郁子さんがお見えになりましたゆりあげに関わって頂いている方の中でも特に写真の背景にある人の部分を大切にされている方だと思います写真洗浄以外にも様々なことに携わられて来た方ですそういった中で目の前で出来ることだけでなく、当事者のありのままを理解しようと常にされています(ふたつの震災も10冊買われたとか)被災状況も復興状況も違う中で大切なことは何か当事者にはなれないし、苦しみは分かれないけど少しでもありのままの言葉、感情を理解しようとする中で思いを救い上げ、寄り添おうとされる中で得られてきたものは本当に大きいんじゃないかと勝手に思っています支援する支援されるからお互い必要とされあうような存在へ「寄り添う」から「関与できる」になれば、これからいくつもの物語を当事者の方との間に生み出すことができるかもしれません決して簡単なことではないけれど、でもそれが出来る方だと思います失ったものが生み出すはずだった物語それを通じて新しい物語がいくつも生まれて欲しいと思います
未分類
新井 洋平
2012-06-17T23:20:12+09:00
情勢論は既存の枠組みの中で考えること。
存在論は、そもそも論「そもそもその枠組みってどうなの?」から考える。
情勢論と存在論を対比し、私たちは情勢論で物事を見るのに慣れている、という。
しかし、存在論的に考えるためには、常識の背後にある「見えないもの」をつかみとらなくてはならない
これを読んで情勢論はボランティアにも当てはまる部分があるかもと思いました
今写真洗浄が目の前で出来ることであり、劣化を防ぐためにもまずしようと
離れた場所で活動されている方からメッセージをもらうことがありますが
「現地に行って何かしたいけどとりあえず目の前で出来ることを」
という考えの方が多かったと思います
おかげで多数の写真が救われています。ただ・・・
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今日は武蔵小杉で活動されている小林郁子さんがお見えになりました
ゆりあげに関わって頂いている方の中でも特に写真の背景にある人の部分を
大切にされている方だと思います
写真洗浄以外にも様々なことに携わられて来た方です
そういった中で目の前で出来ることだけでなく、当事者のありのままを
理解しようと常にされています(ふたつの震災も10冊買われたとか)
被災状況も復興状況も違う中で大切なことは何か
当事者にはなれないし、苦しみは分かれないけど
少しでもありのままの言葉、感情を理解しようとする中で
思いを救い上げ、寄り添おうとされる中で
得られてきたものは本当に大きいんじゃないかと勝手に思っています
支援する支援されるからお互い必要とされあうような存在へ
「寄り添う」から「関与できる」になれば、これからいくつもの物語を
当事者の方との間に生み出すことができるかもしれません
決して簡単なことではないけれど、でもそれが出来る方だと思います
失ったものが生み出すはずだった物語
それを通じて新しい物語がいくつも生まれて欲しいと思います
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2012-06-10
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-06-10
『ふたつの震災』思い出探し隊の発起人竹澤さん夫妻のことが書かれています当事者のありのままの言葉・感情をほんの少しでも理解しようとするきっかけになる本かもしれませんただこれもありのままの一部であるということ彼女は人に物を伝えるときには必ず「一意見だけど」「やな思いさせるかもしれないけど」と前置きされています。でも少しでも聞いてくれるなら伝えさせてくださいとそういうスタンスで話されます間違っても当事者代表のような振る舞いとは無縁です伝えること一つにも私達では想像できない葛藤・苦労・思いがあってその上でだということただこの本にはそういったところまでは書かれていませんTVも同じだと思いますが・・・メッセージ性の強い部分だけにスポットが当たることに対しても色々な影響はあったと思います。伝える側がそれをどこまで考えれるか・・・当事者以外が当事者の方について話したり伝える際にどれだけ影響や使うべきじゃない言葉まで考えられるか最近とあるブログを見て思いました内容は控えますが、ちょっとうーんという内容でした当事者じゃないのに、その思いを背負うみたいな内容だったのですが・・私達がそういったことを伝えるときには必ずそれをいう資格があるのか、その言葉を使っていいのか考える必要があると思います思ったり想像したりするのと、言葉で伝えるのは別だと思いますまた誰が言うかによっても変わってくると思います現地のことや当事者のことを伝えるのは確かに人の耳目を集めることではあるけどそこには少なからず影響もあります。自分の思ってもいないところで気持ちのすれ違いを起こすこともありますかつて思い出探し隊で活動してくれていたGさんが伝えてくれた「言葉の怖さ」伝える側になってくれてる方にも改めて考えて欲しいと思います
未分類
新井 洋平
2012-06-10T20:46:18+09:00
思い出探し隊の発起人竹澤さん夫妻のことが書かれています
当事者のありのままの言葉・感情をほんの少しでも理解しようとする
きっかけになる本かもしれません
ただこれもありのままの一部であるということ
彼女は人に物を伝えるときには必ず
「一意見だけど」「やな思いさせるかもしれないけど」
と前置きされています。でも少しでも聞いてくれるなら伝えさせてくださいと
そういうスタンスで話されます
間違っても当事者代表のような振る舞いとは無縁です
伝えること一つにも私達では想像できない葛藤・苦労・思いがあって
その上でだということ
ただこの本にはそういったところまでは書かれていません
TVも同じだと思いますが・・・
メッセージ性の強い部分だけにスポットが当たることに対しても
色々な影響はあったと思います。
伝える側がそれをどこまで考えれるか・・・
当事者以外が当事者の方について話したり伝える際にどれだけ影響や
使うべきじゃない言葉まで考えられるか
最近とあるブログを見て思いました
内容は控えますが、ちょっとうーんという内容でした
当事者じゃないのに、その思いを背負うみたいな内容だったのですが・・
私達がそういったことを伝えるときには必ず
それをいう資格があるのか、その言葉を使っていいのか
考える必要があると思います
思ったり想像したりするのと、言葉で伝えるのは別だと思います
また誰が言うかによっても変わってくると思います
現地のことや当事者のことを伝えるのは確かに人の耳目を集めることではあるけど
そこには少なからず影響もあります。自分の思ってもいないところで気持ちのすれ違い
を起こすこともあります
かつて思い出探し隊で活動してくれていたGさんが伝えてくれた「言葉の怖さ」
伝える側になってくれてる方にも改めて考えて欲しいと思います
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2012-06-04
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-06-04
ご縁があり、ハーバード大のマイケル・サンデル教授とお会いさせて頂きましたhttp://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20120531-OYS1T00211.htm西南学院大学の講義この講義の後に対談という形でお話する時間を取ってくれました講義を受けて感じたことそれは意見の対立をプラス感情を生むように持って行くことが出来る人だなということでありまた分かりやすい例を出すことにより、意見を言っていない人も参画している感覚を大いに持つことができていたんじゃないかということでしたお互いの立場を尊重し、より理解しようとする中で芽生える感覚勿論一般社会で実現するのは容易ではないと思います借金を抱え明日が見えない中でそういった境地を維持できる人はそうはいないでしょうただそこを埋める答えがこの一年被災地で活動してきた中で分かってきた気がします(勝手な思い込みかもしれませんが)話は変わりますがサンデル教授はコミュニタリアリズムという考え方をされています本の一節ですが「自己はコミュニテイの中に存在し、コミュニティの歴史の中で『どういう生を生きるのが良いか』という善に対する考え方があり、そういう中で人間は成長し自らの人生を物語のように生きていく存在である」と以前来られた一橋大の栗田さんという方を思い出しました経験した写真ボランティアが正しいことなのかずっと考え続けたけど結局答えが出ず思い立ってゆりあげまで来られました。一日写真を探している人に接して「人には人が必要と感じた」と感想を言っていましたまた神戸の教育理念「人は人によって人になる」も同じかもしれません写真洗浄も今目の前で出来ることだと思います。ただそれで満足することなくそれだけでいいのかという問いを改めて自分に問うこと見えないありのままの姿や感情がまだあるんじゃないか今本当に見ようとしても見えなくなりつつあるものを感じようとする気持ちそれが人を思いやる隣人への第一歩なんじゃないかと思います
未分類
新井 洋平
2012-06-04T02:29:25+09:00
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20120531-OYS1T00211.htm
西南学院大学の講義
この講義の後に対談という形でお話する時間を取ってくれました
講義を受けて感じたこと
それは意見の対立をプラス感情を生むように持って行くことが出来る人だなということであり
また分かりやすい例を出すことにより、意見を言っていない人も参画している感覚を
大いに持つことができていたんじゃないかということでした
お互いの立場を尊重し、より理解しようとする中で芽生える感覚
勿論一般社会で実現するのは容易ではないと思います
借金を抱え明日が見えない中でそういった境地を維持できる人はそうはいないでしょう
ただそこを埋める答えがこの一年被災地で活動してきた中で
分かってきた気がします(勝手な思い込みかもしれませんが)
話は変わりますがサンデル教授はコミュニタリアリズムという考え方をされています
本の一節ですが
「自己はコミュニテイの中に存在し、コミュニティの歴史の中で『どういう生を
生きるのが良いか』という善に対する考え方があり、そういう中で人間は成長し
自らの人生を物語のように生きていく存在である」と
以前来られた一橋大の栗田さんという方を思い出しました
経験した写真ボランティアが正しいことなのかずっと考え続けたけど
結局答えが出ず思い立ってゆりあげまで来られました。
一日写真を探している人に接して「人には人が必要と感じた」と感想を言っていました
また神戸の教育理念「人は人によって人になる」も同じかもしれません
写真洗浄も今目の前で出来ることだと思います。ただそれで満足することなく
それだけでいいのかという問いを改めて自分に問うこと
見えないありのままの姿や感情がまだあるんじゃないか
今本当に見ようとしても見えなくなりつつあるものを感じようとする気持ち
それが人を思いやる隣人への第一歩なんじゃないかと思います
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2012-05-25
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-05-25
以前私が他の地区へ送ったメッセージの一部を紹介します『最後になりますが、かつて思い出探し隊を始めた女性が失った赤ちゃんについてこう言っていました。『地震があって津波があってよかったって事はないけど、でも新たに思いを寄せてくれる方ができた。それは雅人(まさと)のおかげだね』と失ったものはもう戻ってこないです。ただ失ったものを通じて新しい人と人とのつながりがこれから生まれ、そしてそれがこの震災で失ったものを越えて、今はまだ前に進めない方が、失ったものを乗り越え前に進めるようになったとき、それが本当の復興だと思いますぜひ皆さまこれからも、そしていつまでも温かく東北の被災地に寄り添う気持ちを持ち続けて頂きたいです。震災が過去のものになりつつある今日ですが、その気持ちがいつまでも続けば、いつかはお互い必要とされあうような、そして失ったものを超えるような繋がりがこれから生まれてくると思います。皆さまの善意をきっかけに、十年二十年後が『震災はあったけど失ったものはあるけど、でも今がある』と笑顔で言える未来であることを願っています』これを読んでそのまま受け取った方がどう捉えるか・・・離れた場所で活動されている方々であれば、更に頑張ろうと気持ちを鼓舞してもらえたかもしれません勿論当事者の方が見られるということであれば、全く違う言葉を選ぶのですがただ今回あえてブログに出しました「失ったものを乗り越え前に進めるようになったとき」とか「『震災はあったけど失ったものはあるけど、でも今がある』と笑顔で言える」とか本当の当事者の方ならこれが飾った言葉であることはすぐ分かると思いますそれが言葉の怖さであり、一つの気持ちのすれ違いを起こすことにも繋がると思いますボランティアと当事者の方の感覚の差勿論それぞれに状況も違えば相手のことを思いやる力、考えれる力また見える部分も変わってくると思います一概には言えないですが、ただ一年やってきて埋め切れなかったと最近感じます
未分類
新井 洋平
2012-05-25T01:12:36+09:00
『最後になりますが、かつて思い出探し隊を始めた女性が失った赤ちゃんについてこう言っていました。『地震があって津波があってよかったって事はないけど、でも新たに思いを寄せてくれる方ができた。それは雅人(まさと)のおかげだね』と
失ったものはもう戻ってこないです。ただ失ったものを通じて新しい人と人とのつながりがこれから生まれ、そしてそれがこの震災で失ったものを越えて、今はまだ前に進めない方が、失ったものを乗り越え前に進めるようになったとき、それが本当の復興だと思います
ぜひ皆さまこれからも、そしていつまでも温かく東北の被災地に寄り添う気持ちを持ち続けて頂きたいです。震災が過去のものになりつつある今日ですが、その気持ちがいつまでも続けば、いつかはお互い必要とされあうような、そして失ったものを超えるような繋がりがこれから生まれてくると思います。皆さまの善意をきっかけに、十年二十年後が『震災はあったけど失ったものはあるけど、でも今がある』と笑顔で言える未来であることを願っています』
これを読んでそのまま受け取った方がどう捉えるか・・・
離れた場所で活動されている方々であれば、更に頑張ろうと気持ちを鼓舞してもらえたかもしれません
勿論当事者の方が見られるということであれば、全く違う言葉を選ぶのですが
ただ今回あえてブログに出しました
「失ったものを乗り越え前に進めるようになったとき」とか
「『震災はあったけど失ったものはあるけど、でも今がある』と笑顔で言える」とか
本当の当事者の方ならこれが飾った言葉であることはすぐ分かると思います
それが言葉の怖さであり、一つの気持ちのすれ違いを起こすことにも繋がると思います
ボランティアと当事者の方の感覚の差
勿論それぞれに状況も違えば相手のことを思いやる力、考えれる力
また見える部分も変わってくると思います
一概には言えないですが、ただ一年やってきて埋め切れなかったと最近感じます
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2012-05-19
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-05-19
二つの震災という本にお医者さんのこういう言葉がありました今も苦しみ続けている方に対してですが「普段の自分、悲しんでいる自分、今自分の中に2人の自分がいる」「今は無理に一緒にしないこと」これを読んで震災ボランティアにも当てはまる面があるのかなと感じました2つの側面があるということひとつは本当に純粋な自分の感情に即した部分(苦しんでいる人がいる、助けたいなど)ふたつめは自分のためといったらいい方が悪いですが、気持ちをともにする新たな仲間や、思いの共有、つながり、楽しさなど非日常の場と言ったらいいかと思いますが、そういった部分ほかにも結果的に当事者の方のためであってもでも自分のためにもなるようなことはそういった部分になるかもしれません特に思い出探し隊は各地にたくさんのつながりを持たせて頂きました普通のボランティアでは考えられないほどに確かに継続のために交流の場や新しくできた仲間との協力は欠かせませんただそれはふたつめの部分の側面が大きいのかなと・・・私はこれまでたくさんの新しいつながりを得ました。でも今葛藤があります本来は発起人の竹澤さんが持つべきつながりなのに、彼女には何もできずに自分だけが持たせてもらっていると実際には純粋な感情面だけではなく、そういう面も出てきましたこれから新たに思い出探し隊に関わってくれる方にも、繋がりを大切に大きくつなげてほしいただそれだけではなく、苦しんでいる方の身の回りには、自分たちが持たせてもらったような繋がりは出来ていないということを常に忘れずに、葛藤することが出来る人であってほしい純粋な部分から出来るだけずれないように努力することずれてしまう部分には葛藤を持ち続けてほしいそしていつかは新しいつながりを当事者につなげていける人であって欲しい震災ボランティアを決して自分のためにしないように努力できる人であって欲しいと願っていますそしてボランティアから人を思いやれる隣人に変わっていってほしい
未分類
新井 洋平
2012-05-19T22:43:25+09:00
今も苦しみ続けている方に対してですが
「普段の自分、悲しんでいる自分、今自分の中に2人の自分がいる」
「今は無理に一緒にしないこと」
これを読んで震災ボランティアにも当てはまる面があるのかなと感じました
2つの側面があるということ
ひとつは本当に純粋な自分の感情に即した部分(苦しんでいる人がいる、助けたいなど)
ふたつめは自分のためといったらいい方が悪いですが、
気持ちをともにする新たな仲間や、思いの共有、つながり、楽しさなど
非日常の場と言ったらいいかと思いますが、そういった部分
ほかにも結果的に当事者の方のためであっても
でも自分のためにもなるようなことはそういった部分になるかもしれません
特に思い出探し隊は各地にたくさんのつながりを持たせて頂きました
普通のボランティアでは考えられないほどに
確かに継続のために交流の場や新しくできた仲間との協力は欠かせません
ただそれはふたつめの部分の側面が大きいのかなと・・・
私はこれまでたくさんの新しいつながりを得ました。でも今葛藤があります
本来は発起人の竹澤さんが持つべきつながりなのに、彼女には何もできずに
自分だけが持たせてもらっていると
実際には純粋な感情面だけではなく、そういう面も出てきました
これから新たに思い出探し隊に関わってくれる方にも、繋がりを大切に大きくつなげてほしい
ただそれだけではなく、苦しんでいる方の身の回りには、自分たちが持たせてもらったような
繋がりは出来ていないということを常に忘れずに、葛藤することが出来る人であってほしい
純粋な部分から出来るだけずれないように努力すること
ずれてしまう部分には葛藤を持ち続けてほしい
そしていつかは新しいつながりを当事者につなげていける人であって欲しい
震災ボランティアを決して自分のためにしないように努力できる人であって欲しい
と願っています
そしてボランティアから人を思いやれる隣人に変わっていってほしい
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2012-05-18
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-05-18
以前離れた場所で活動されているボランティアの方から「当事者とボランティアの区分けはいつまで続けばいいのだろう」という投げかけをもらったことがありました確かに離れた場所で出来るボランティアがほぼなくなりつつある今いつまでもということは難しいかもしれませんただその上で伝えたいこと。それはまだ人知れず苦しまれている方がいらっしゃるということです武蔵小杉で活動されている小林郁子さんがおっしゃっていました「支援するボランティアするじゃなくて、そこにまだ苦しまれている方がいるから」隣で苦しんでいる方がいるから何かできないかと思う、逆にいつ自分がそういう立場になるのかもわからないんだしとおっしゃられていました。震災を風化させないためにも、たとえ理解は出来なくても、一度は苦しまれている方の感情に触れるようにボランティアさんに伝えてくれているそうですそこで感じるものこそが今そしてこれから一番大切なものなのかもしれないなと聞いていて私はそう思いました。苦しみの中にある思いをくみ取り、寄り添いつづけることそこからスタートすることがあること思い出探し隊の設立から1年2カ月が過ぎました。写真洗浄ボランティアの皆さまのおかげで本当にたくさんの写真を救って頂き、また持ち主のお手元にもたくさんの思い出が返ったと思います名取に限らず東北各地、日本各地での写真ボランティアの「人のために」「持ち主のために」という大変な数の思いと、探しに来られた方の喜びが繋がった場面は数えきれないほどあると思いますボランティアの充実感、持ち主の喜び阪神大震災の時にはなかったことです。本当に素晴らしいことだと思いますただその裏に思いを馳せれば、今も見えないところで人知れず苦しまれている方の感情はむしろ真逆だと思いますそしてその多くは見えない声であるということ・・・思い出探し隊も日本各地とたくさんの繋がりを持たせて頂きました大変な数の思いが繋がり、大きい力として後押ししてくれましたただその繋がりはまだこちら止まりなのも事実です苦しまれている方に新しい繋がりとして何か生まれたんだろうか?気持ちの繋がりが生まれたんだろうか?阪神大震災で現地に入ったボランティアの数は東日本よりずっと多いそうですそこにはおそらく当時関わった方々の大変な数の思いがあったと思いますただ17年たった今「震災があったけどでも今がある」という声はあまりないと現地の記者の方からも聞いています色々な要因がある..
未分類
新井 洋平
2012-05-18T23:47:22+09:00
「当事者とボランティアの区分けはいつまで続けばいいのだろう」
という投げかけをもらったことがありました
確かに離れた場所で出来るボランティアがほぼなくなりつつある今
いつまでもということは難しいかもしれません
ただその上で伝えたいこと。それはまだ人知れず苦しまれている方が
いらっしゃるということです
武蔵小杉で活動されている小林郁子さんがおっしゃっていました
「支援するボランティアするじゃなくて、そこにまだ苦しまれている方がいるから」
隣で苦しんでいる方がいるから何かできないかと思う、逆にいつ自分がそういう立場に
なるのかもわからないんだしとおっしゃられていました。
震災を風化させないためにも、たとえ理解は出来なくても、一度は苦しまれている方の
感情に触れるようにボランティアさんに伝えてくれているそうです
そこで感じるものこそが今そしてこれから一番大切なものなのかもしれないなと
聞いていて私はそう思いました。苦しみの中にある思いをくみ取り、寄り添いつづけること
そこからスタートすることがあること
思い出探し隊の設立から1年2カ月が過ぎました。
写真洗浄ボランティアの皆さまのおかげで本当にたくさんの写真を救って頂き、また持ち主
のお手元にもたくさんの思い出が返ったと思います
名取に限らず東北各地、日本各地での写真ボランティアの「人のために」「持ち主のために」
という大変な数の思いと、探しに来られた方の喜びが繋がった場面は数えきれないほど
あると思います
ボランティアの充実感、持ち主の喜び
阪神大震災の時にはなかったことです。本当に素晴らしいことだと思います
ただその裏に思いを馳せれば、今も見えないところで人知れず苦しまれている方の
感情はむしろ真逆だと思います
そしてその多くは見えない声であるということ・・・
思い出探し隊も日本各地とたくさんの繋がりを持たせて頂きました
大変な数の思いが繋がり、大きい力として後押ししてくれました
ただその繋がりはまだこちら止まりなのも事実です
苦しまれている方に新しい繋がりとして何か生まれたんだろうか?
気持ちの繋がりが生まれたんだろうか?
阪神大震災で現地に入ったボランティアの数は東日本よりずっと多いそうです
そこにはおそらく当時関わった方々の大変な数の思いがあったと思います
ただ17年たった今「震災があったけどでも今がある」という声はあまりないと
現地の記者の方からも聞いています
色々な要因があるようですが、ただ新しい気持ちのつながりはあまり
出来なかったのかなと思います
今も携わってくれているボランティアさんの大変な数の苦労と思いに対して、
失礼な表現で申し訳ないのですが、ただ今のままでは、写真洗浄して返せて
よかったで終わってしまうのが怖いなと思うことがあります
気持ちを共にする仲間や、つながり・絆も新しく生まれても
こちら止まりで終わってしまうとこの先何か産まれるんだろうか・・・
今のままでは阪神と同じ道をたどるのかな・・・
つながりという言葉をたくさん使ってきました。でも一番土台にくるものってなんだろう?
私はそれは気持ちだと思います
震災が過去のものになりつつありますが、
だからこそ今のうちになんとかそこを伝えていきたい
同じことを繰り返しが起こらないように
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2012-05-09
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-05-09
少し前にラジオで歌手の方が「いつかは震災で失ったものを乗り越えて欲しい」という言葉を使っていましたこれまでは違和感なく私も使っていましたが最近少し違う感覚を感じることがありますあくまで支援する側の「人のために」という感情を鼓舞する言葉かもしれないなと勿論大切なことなんですが・・・【二つの震災】という本に作者の方が書いていました「心のどこかで『どれほど大きい悲しみでも時間が経てば、いつかは癒される』と思っていた」半ば期待もこめて思っていたそうです。でも神戸で幼児を失った方に、17年経った今接して決して悲しみはそんなものじゃないと、そのことを理解していなかったことに気づいたそうです《こころのどこかに穏やかに潜んでいる》という表現をされていました17年経っても全く消えることのない悲しみ、その気持ちは恐らく一生消えることがないことをいつまでも忘れないようにしようと思います
未分類
新井 洋平
2012-05-09T23:46:33+09:00
「いつかは震災で失ったものを乗り越えて欲しい」
という言葉を使っていました
これまでは違和感なく私も使っていましたが
最近少し違う感覚を感じることがあります
あくまで支援する側の「人のために」という感情を鼓舞する言葉かもしれないなと
勿論大切なことなんですが・・・
【二つの震災】という本に作者の方が書いていました
「心のどこかで『どれほど大きい悲しみでも時間が経てば、いつかは癒される』と思っていた」
半ば期待もこめて思っていたそうです。でも神戸で幼児を失った方に、17年経った今接して
決して悲しみはそんなものじゃないと、そのことを理解していなかったことに気づいたそうです
《こころのどこかに穏やかに潜んでいる》という表現をされていました
17年経っても全く消えることのない悲しみ、その気持ちは恐らく一生消えることがないことを
いつまでも忘れないようにしようと思います
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2012-05-06
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-05-06
『思い出探し隊』に離れた場所からでも、今でも心配してくれている方々がいらっしゃいます離れた場所でもつながりを持たせて頂いていること本当に有難く思いますそれと同時に忘れてはならないことそういった方々へ写真救済をつなげるため黒子になってアルバムを箱詰めしてくれていた方々蒸すような環境の中、体調を崩してまでも頑張ってくれていた方々写真洗浄のつもりで来てくれたのに、重労働を文句も言わずにもくもくとこなしてくれた方々もしかしたら葛藤もあったかもしれませんでもそれあったからこそが今につなげて頂きました勿論初期の立ち上げにも見えないところで沢山の思い・葛藤があったと思います各地の皆さまと持たせて頂いているつながりも、見えないところで大変な数の思いと苦労と汗があったということ、今は活動を離れられていても今も思いを寄せてくれている方が沢山いるということ離れた場所で携わってくれた方々も同じだと思います。今のつながりは今関わっている人だけではなく、そういった方々が作ってくれたものだということ決して忘れないようにしなければと思います
未分類
新井 洋平
2012-05-06T23:37:58+09:00
離れた場所でもつながりを持たせて頂いていること
本当に有難く思います
それと同時に忘れてはならないこと
そういった方々へ写真救済をつなげるため黒子になってアルバムを箱詰めしてくれていた方々
蒸すような環境の中、体調を崩してまでも頑張ってくれていた方々
写真洗浄のつもりで来てくれたのに、重労働を文句も言わずにもくもくとこなしてくれた方々
もしかしたら葛藤もあったかもしれません
でもそれあったからこそが今につなげて頂きました
勿論初期の立ち上げにも見えないところで沢山の思い・葛藤があったと思います
各地の皆さまと持たせて頂いているつながりも、見えないところで大変な数の思いと苦労と汗
があったということ、今は活動を離れられていても今も思いを寄せてくれている方が沢山いると
いうこと
離れた場所で携わってくれた方々も同じだと思います。
今のつながりは今関わっている人だけではなく、そういった方々が作ってくれたものだということ
決して忘れないようにしなければと思います
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2012-05-03
https://natori-kizuna.blog.ss-blog.jp/2012-05-03
今日はみなとみらいでお世話になったT本さんがわざわざ来てくれました色々な話をして頂きました私も思いの部分で色々お伝えしましたが、整理しきれなかった部分もあったなと・・・T本さん『一人一人の被災状況は異なり、復興状況も時間で異なるし難しい。今そしてこれから何が必要なのだろう?』『寄り添うって言葉は正しいのだろうか?離れている人間にとってはどういう気持ちが必要なのだろう?』『当事者・ボランティアの区分けはいつまで続けばいいのだろう?』以前から真摯に考え続けられている方です私の思いになりますが、前に進み始めている方、まだ流れの中で佇まれている方など十人いれば十通りの状況があるとおもいます前に進み始められている方に対しては『ともに』を思いまだ流れの中佇まれている方に対しては『いつまでも寄り添う』気持ちであって欲しいとどちらにも見える声・見えない思いがあることを決して忘れず気持ちの繋がりを意識し続けて欲しいなと前に進み始めている方には、支援する側される側からいずれお互い必要なつながりに佇んでいる方には、失ったものの大きさは分かれないことを理解した上で相手に寄り添い、まずは痛みを理解しようとすること。気持ちに沿うこと今は一つでも失ったものに代わるつながりが産まれて欲しいと願っています
未分類
新井 洋平
2012-05-03T02:17:42+09:00
色々な話をして頂きました
私も思いの部分で色々お伝えしましたが、整理しきれなかった部分もあったなと・・・
T本さん
『一人一人の被災状況は異なり、復興状況も時間で異なるし難しい。今そして
これから何が必要なのだろう?』
『寄り添うって言葉は正しいのだろうか?離れている人間にとってはどういう
気持ちが必要なのだろう?』
『当事者・ボランティアの区分けはいつまで続けばいいのだろう?』
以前から真摯に考え続けられている方です
私の思いになりますが、前に進み始めている方、まだ流れの中で佇まれている方
など十人いれば十通りの状況があるとおもいます
前に進み始められている方に対しては『ともに』を思い
まだ流れの中佇まれている方に対しては『いつまでも寄り添う』
気持ちであって欲しいと
どちらにも見える声・見えない思いがあることを決して忘れず
気持ちの繋がりを意識し続けて欲しいなと
前に進み始めている方には、支援する側される側からいずれお互い必要なつながりに
佇んでいる方には、失ったものの大きさは分かれないことを理解した上で
相手に寄り添い、まずは痛みを理解しようとすること。気持ちに沿うこと
今は一つでも失ったものに代わるつながりが産まれて欲しいと願っています
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