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2012-07-15

http://ameblo.jp/cori2274/entry-11291023700.html

当事者の方の声の一つです、でも殆どの方は思っても表に出さない
のも事実だと思います

人の気持ちを想像する力
このブログの初期に私が書いたことですが、発起人竹澤さんと
接して感じたこと、それは「分かれない」ということでした

自分の中には全くない世界といったらいいのか・・・

だからこそ極めて慎重に、自分では見えないもの分かれないことを
常に意識しないと、すれ違いを起こしてしまう

「写真洗浄」「現物」「現場」はトライアンドエラーの積み重ねでここまで
来ました。ただその先にある「現実」「気持ち」はそれは通用しない世界だと
思います


正直に言うと「写真洗浄」「返却」だけのストーリーを作っていくのは
そこまで難しいと思ったことはないです
勿論途方もない数の方々の協力のおかげですが

ただ善意と当事者を結ぶのはそう簡単ではないと思います
でもそれをしないとまた今回と同じことを起こしてしまう
勿論善意も当たり前のものではないし、その行動は貴重で素晴らしいです
でもだからといって全てが許されるわけじゃないと思います

今後も場所によっては写真洗浄が続く限り、
喜びと同時に悲しみが続いてしまう場があるかもしれない

ゆりあげでは残念ながら何度か起きたかもしれません

改めて写真の背景には人がいるということ
現物、現場の事実のみで考えることの影響
継続のためにそこに正当性、必要性を訴えることの影響
(勿論否定は決してしないですが)
生み出すものもあれば傷つけてしまったこともあるそれはなぜか

様々なことを考えて欲しい
そこには様々なジレンマや葛藤も生まれてくると思います

でもそれを選択できるかできないか

マイケルサンデル教授の言葉を引用させてもらうと
「負荷ある自己」「負荷なき自己」のどちらを選べるか


そうすれば「善意と当事者の間に何があればそこに気持ちのすれ違いが起きないか」
という問いに対する答えに徐々に近づいていけると私は思います


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