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2012-05-19

二つの震災という本にお医者さんのこういう言葉がありました
今も苦しみ続けている方に対してですが
「普段の自分、悲しんでいる自分、今自分の中に2人の自分がいる」
「今は無理に一緒にしないこと」



これを読んで震災ボランティアにも当てはまる面があるのかなと感じました
2つの側面があるということ

ひとつは本当に純粋な自分の感情に即した部分(苦しんでいる人がいる、助けたいなど)

ふたつめは自分のためといったらいい方が悪いですが、
気持ちをともにする新たな仲間や、思いの共有、つながり、楽しさなど
非日常の場と言ったらいいかと思いますが、そういった部分
ほかにも結果的に当事者の方のためであっても
でも自分のためにもなるようなことはそういった部分になるかもしれません

特に思い出探し隊は各地にたくさんのつながりを持たせて頂きました
普通のボランティアでは考えられないほどに

確かに継続のために交流の場や新しくできた仲間との協力は欠かせません

ただそれはふたつめの部分の側面が大きいのかなと・・・

私はこれまでたくさんの新しいつながりを得ました。でも今葛藤があります
本来は発起人の竹澤さんが持つべきつながりなのに、彼女には何もできずに
自分だけが持たせてもらっていると

実際には純粋な感情面だけではなく、そういう面も出てきました

これから新たに思い出探し隊に関わってくれる方にも、繋がりを大切に大きくつなげてほしい
ただそれだけではなく、苦しんでいる方の身の回りには、自分たちが持たせてもらったような
繋がりは出来ていないということを常に忘れずに、葛藤することが出来る人であってほしい

純粋な部分から出来るだけずれないように努力すること
ずれてしまう部分には葛藤を持ち続けてほしい
そしていつかは新しいつながりを当事者につなげていける人であって欲しい

震災ボランティアを決して自分のためにしないように努力できる人であって欲しい
と願っています

そしてボランティアから人を思いやれる隣人に変わっていってほしい


2012-05-18

以前離れた場所で活動されているボランティアの方から
「当事者とボランティアの区分けはいつまで続けばいいのだろう」
という投げかけをもらったことがありました

確かに離れた場所で出来るボランティアがほぼなくなりつつある今
いつまでもということは難しいかもしれません

ただその上で伝えたいこと。それはまだ人知れず苦しまれている方が
いらっしゃるということです

武蔵小杉で活動されている小林郁子さんがおっしゃっていました
「支援するボランティアするじゃなくて、そこにまだ苦しまれている方がいるから」

隣で苦しんでいる方がいるから何かできないかと思う、逆にいつ自分がそういう立場に
なるのかもわからないんだしとおっしゃられていました。
震災を風化させないためにも、たとえ理解は出来なくても、一度は苦しまれている方の
感情に触れるようにボランティアさんに伝えてくれているそうです

そこで感じるものこそが今そしてこれから一番大切なものなのかもしれないなと
聞いていて私はそう思いました。苦しみの中にある思いをくみ取り、寄り添いつづけること
そこからスタートすることがあること




思い出探し隊の設立から1年2カ月が過ぎました。
写真洗浄ボランティアの皆さまのおかげで本当にたくさんの写真を救って頂き、また持ち主
のお手元にもたくさんの思い出が返ったと思います

名取に限らず東北各地、日本各地での写真ボランティアの「人のために」「持ち主のために」
という大変な数の思いと、探しに来られた方の喜びが繋がった場面は数えきれないほど
あると思います

ボランティアの充実感、持ち主の喜び
阪神大震災の時にはなかったことです。本当に素晴らしいことだと思います




ただその裏に思いを馳せれば、今も見えないところで人知れず苦しまれている方の
感情はむしろ真逆だと思います

そしてその多くは見えない声であるということ・・・

思い出探し隊も日本各地とたくさんの繋がりを持たせて頂きました
大変な数の思いが繋がり、大きい力として後押ししてくれました

ただその繋がりはまだこちら止まりなのも事実です
苦しまれている方に新しい繋がりとして何か生まれたんだろうか?
気持ちの繋がりが生まれたんだろうか?




阪神大震災で現地に入ったボランティアの数は東日本よりずっと多いそうです
そこにはおそらく当時関わった方々の大変な数の思いがあったと思います

ただ17年たった今「震災があったけどでも今がある」という声はあまりないと
現地の記者の方からも聞いています
色々な要因があるようですが、ただ新しい気持ちのつながりはあまり
出来なかったのかなと思います

今も携わってくれているボランティアさんの大変な数の苦労と思いに対して、
失礼な表現で申し訳ないのですが、ただ今のままでは、写真洗浄して返せて
よかったで終わってしまうのが怖いなと思うことがあります

気持ちを共にする仲間や、つながり・絆も新しく生まれても
こちら止まりで終わってしまうとこの先何か産まれるんだろうか・・・

今のままでは阪神と同じ道をたどるのかな・・・

つながりという言葉をたくさん使ってきました。でも一番土台にくるものってなんだろう?
私はそれは気持ちだと思います

震災が過去のものになりつつありますが、
だからこそ今のうちになんとかそこを伝えていきたい
同じことを繰り返しが起こらないように





2012-05-09

少し前にラジオで歌手の方が
「いつかは震災で失ったものを乗り越えて欲しい」
という言葉を使っていました

これまでは違和感なく私も使っていましたが
最近少し違う感覚を感じることがあります

あくまで支援する側の「人のために」という感情を鼓舞する言葉かもしれないなと
勿論大切なことなんですが・・・

【二つの震災】という本に作者の方が書いていました
「心のどこかで『どれほど大きい悲しみでも時間が経てば、いつかは癒される』と思っていた」
半ば期待もこめて思っていたそうです。でも神戸で幼児を失った方に、17年経った今接して
決して悲しみはそんなものじゃないと、そのことを理解していなかったことに気づいたそうです

《こころのどこかに穏やかに潜んでいる》という表現をされていました
17年経っても全く消えることのない悲しみ、その気持ちは恐らく一生消えることがないことを
いつまでも忘れないようにしようと思います

2012-05-06

『思い出探し隊』に離れた場所からでも、今でも心配してくれている方々がいらっしゃいます

離れた場所でもつながりを持たせて頂いていること
本当に有難く思います

それと同時に忘れてはならないこと

そういった方々へ写真救済をつなげるため黒子になってアルバムを箱詰めしてくれていた方々
蒸すような環境の中、体調を崩してまでも頑張ってくれていた方々
写真洗浄のつもりで来てくれたのに、重労働を文句も言わずにもくもくとこなしてくれた方々

もしかしたら葛藤もあったかもしれません
でもそれあったからこそが今につなげて頂きました

勿論初期の立ち上げにも見えないところで沢山の思い・葛藤があったと思います

各地の皆さまと持たせて頂いているつながりも、見えないところで大変な数の思いと苦労と汗
があったということ、今は活動を離れられていても今も思いを寄せてくれている方が沢山いると
いうこと

離れた場所で携わってくれた方々も同じだと思います。
今のつながりは今関わっている人だけではなく、そういった方々が作ってくれたものだということ
決して忘れないようにしなければと思います

2012-05-03

今日はみなとみらいでお世話になったT本さんがわざわざ来てくれました

色々な話をして頂きました
私も思いの部分で色々お伝えしましたが、整理しきれなかった部分もあったなと・・・

T本さん
『一人一人の被災状況は異なり、復興状況も時間で異なるし難しい。今そして
これから何が必要なのだろう?』
『寄り添うって言葉は正しいのだろうか?離れている人間にとってはどういう
気持ちが必要なのだろう?』
『当事者・ボランティアの区分けはいつまで続けばいいのだろう?』

以前から真摯に考え続けられている方です

私の思いになりますが、前に進み始めている方、まだ流れの中で佇まれている方
など十人いれば十通りの状況があるとおもいます

前に進み始められている方に対しては『ともに』を思い
まだ流れの中佇まれている方に対しては『いつまでも寄り添う』
気持ちであって欲しいと

どちらにも見える声・見えない思いがあることを決して忘れず
気持ちの繋がりを意識し続けて欲しいなと


前に進み始めている方には、支援する側される側からいずれお互い必要なつながりに
佇んでいる方には、失ったものの大きさは分かれないことを理解した上で
相手に寄り添い、まずは痛みを理解しようとすること。気持ちに沿うこと

今は一つでも失ったものに代わるつながりが産まれて欲しいと願っています

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